伊予の田舎風景

四国愛媛在住につき、その周辺の風景を綴っていこうと思っています。

2017年01月

白猪ノ滝
→ 皿ヶ嶺連峰県立自然公園の中にある高さ96mの滝。重信川の上流、表川白猪越の渓にかかり、その落下する姿はまさに自然の偉大さを感じさせます。
四季それぞれに美しい景色ですが、特に冬の風景は幻想的。厳しい寒さが数日続くと、滝の水が凍りついて滝全体がまるで氷の彫刻のような姿を見せます。
毎年11月3日に「白猪の滝まつり」を開催。錦に染まった紅葉を楽しむ大勢の人で賑わいます。〔東温市ホームページから〕
白猪ノ滝冬-2
16:00に出る。20:00に戻る。
冬に訪れる場所の一つがこの滝になります。TVニュースでもこの時期、凍った滝の画がながれます。
白猪ノ滝冬-8
今日は、テーマを決めていました。星と滝。
白猪ノ滝冬-13

滝に向っていると、すれ違うのは、二人ずればかり、すべてアベックです。(羨.....!)

朝から雨 窓から見える風景
山の方は白く霞んでいる 雪の風景
昨日の疲れが残る 体の状態
それでも白く霞む方へ 向かう車
 山里は雪 懐かしい風景
四国の遍路道 静かな風景
雪が降りだす 霞む風景
久万高原冬-1
久万高原冬-2
久万高原冬-3
帰り道 山肌の風景
久万高原冬-4
久万高原冬-6
雪道で遊ぶ子供たち、寒そうに付き添う親も楽しそうでした。 

今日の一番乗り

今年二度目の伊予富士へ
昨日までの風雪波浪警報が解除され、何とかよさそうな今日の天気予報につられ出発
尾根に上がり、少し進むと、足跡がなくなった。誰も先にいないということですか。
20170121iyohuji03
20170121iyohuji11
雪は、結構深く足を雪にとられながらも前に。雲が流れ、だんだんと青空が見えてきた。
頂上までの最後の斜面が今日の最大の難関でした。
頂上からの360度は、やっぱりいい。 https://youtu.be/ooXbyqNDX_g
石鎚は、雲に隠れ、時々うっすら見える程度で残念。
20170121iyohuji18
20170121iyohuji23
〔冬山が好き〕
 空気がいい
 見晴らしがいい
 霧氷がいい
 陽光がいい
 白と青のコントラストがいい
 モノトーンもいい
 でも、寒いのはちょっと

雪の舞う朝、雲の切れ目から陽が差した。海面が輝き、目を細めるモノトーンの中に橋を愛でる女
しまなみ冬の空と海-1
しまなみ冬の空と海-2

この日、広島では、この冬一番の強い寒気の影響で、33年ぶりに19センチの積雪が観測され、原爆ドームやその周辺もまっ白な雪に包まれたとのことです。

これがまさに「寒気」でしょうか。
しまなみ冬の空と海-3
寒い一日の終わりに、亀老山展望公園(標高307.8m)へ
しまなみ冬の空と海-4
お~寒!




 

せっかくの休みに家で一日ということは、もったいないと、ふらっと家を出て、あてもなくうろうろする。とりあえず海か山か。天気の悪い日は海に向かう確率が高いような気がする。空はどんより曇っているが、少し待てば雲は流れ空の隙間に光が漏れる。そうゆう空の隙間に目を止めると、少し気がまぎれる。
冬の曇り空
双海シーサイド
 
好きな小説家「村上春樹」さんの「使いみちのない風景」いう文と写真で綴られたエッセイに
→ そこから何かの物語が始まるかもしれないと僕は思う。
  でも、何も始まらない。そこにあるのはただの風景の断片なのだ。
  それはどこにも結びついていない。それは何も語りかけない。
  僕はそういう風景を「使いみちのない風景」と名付けている。
   ・・・・・・・
  「使いみちのない風景」、なんて素敵なタイトルだろうと僕は思った。
とあった。

個人的に、海や空の風景には、昔から奇妙にひきつけられる。別に何も語りかけてくれるわけでもないのだが、ただ何となく心に残る。

日常ふと、そこいらのただの風景の断片に目が止まったとき、「使いみちのない風景」という、このタイトルが頭をめぐる時がある。

 

新しい年が始まり初めての雨、冬だから雪が欲しいとゆう気持ちも少しはある。冬の雨は寒いイメージがあるが、そうでもない。だって、凍るほど寒くないから。夕方近くになり雨もやみ、西の空から日の光も差し込んだ。家の窓から遠くの山が雲の中から突き出た。夕暮れ時、雲の厚さで色が変わる時。
冬の雨上がり
〔障子山(885m)伊予郡砥部町と伊予市にまたがる〕
 
明日の成人の日はどんな色の空だろう。
成人とは
→大辞林では「心身ともに成長して、一人前の人間になること。」とある。では、一人前とは、「おとなであること」とある。また、源氏物語にある「いとおとなし(大人し)う」とは、「とても思慮深く何事も落ち着いていて」となる。年の割には大人っぽい。ませている。ということになるらしい。
しかし、一人(いちにん)は結局のところ、「ひとりの人。」であろうとすることではないかと思う。
でも、”それはどうゆうこと....?”

伊予富士(1756m)へ
桑瀬峠から稜線を縦走するコース。寒風山隧道の登山口には2時間20分との標識があった。正月から天候がよく、雪が降らなかったのか、登山道も雪は少ない。午前中は天候に恵まれ、360度の視界よく、石鎚もはっきりと見えた。 https://youtu.be/MQYMSN2UcEE
○○富士という山は、日本全国によくあるように思う。山容が富士山に似ているから、普通は名付けられているのだろうが、伊予富士に関しては、その山容を見ても、個人的はピントこない。西側になだらかな斜面を持ち、見る方向によっては、富士山を髣髴させる(ウィキペディア)からとのこと。
20170107-1
富士??
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瓶ヶ森、石鎚

ところで、正月7日は七草粥(春の七草)である。
→7日に新しい菜を食べることを最初に記録するのは『皇太子神宮儀式帳』(804年)で、新しい菜を羹(あつもの)(現在の汁)にして奉ったことが記述されているそうだ。しかし、ここには菜の数は書かれておらず、七種に定着するのは平安時代からで、七草も時代を経て変遷をしているみたい。そして、七草粥を食べることは、若葉の息吹、生命力を体に取り込むという呪術的要素が強く残って、現代まで続いている(参考文献「植物と行事」湯浅浩史著)ということだそうだ。

閑話休題
12時を過ぎると、周りの山に雲が張り出し始めたので、下山。 帰って、風呂に入って、肉を食べよっと!

田舎の道を走っていると、乾田に「どんどや」が組まれていました。どんど焼きは、小正月(1月15日)の行事として、昔から全国各地で行われている。
言い伝えとして
→火は穢れを浄め、新しい命を生み出し、竹の爆ぜる音は災いを退け、高く 上る煙に乗って正月の神様が帰る。どんど焼きは、祓い清めという役割と、正月に 浮かれた人々を現実世界に戻す、二つの役割を担った行事だそうです。
では、小正月までは、浮かれていていいのだ!

どんどやと月
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どんどやと星と街明かり
20170103-2


ところでもし、どんど焼きをしなかったら、一年中浮かれていていいのだろうか?


 

西日本一の山といえば、石鎚山です。
20161228-11

この日は、濃霧により、視界ゼロという感じでしたが、一瞬顔を覗かせた天狗岳に思わず、”登った甲斐が”、と思った次第。ところで、西日本一が石鎚といっても実際にはこの天狗岳が一番なのです。

霧が晴れるか晴れないか、下山しようかどうしようかと、考えたときに考えた
→天候は時の流れと同じ、早めたり戻したり止めたりはできない、ただ流れに身を任せるだけ、目の前の空間に映る、今の景色もまた石鎚のひととき。

20160429石鎚b

これは、四月に冷え込んだときの一景。

昨年を振り返り、個人的に一番の出来事は、世界遺産の富士山登頂になります。日本における山岳信仰のメッカですよね。天候に恵まれはじめての富士山に感動でした。
201608富士登山-7
2泊3日のツアーではありましたが、2日とも御来光をゲットでした。
201608富士登山-31
今年の目標は、考え中のところです。

ところで、「山に登る」ということについてちょと考えたこと

→ 人が、高いところを目指す、その行動という現象は、人間の先天的な機能の一つのようなものと思いたい。その場所において、目に映るものの群れからなる空間と、耳にひびく歌声のごとき時間に出会うと体が喜んでいるように思います。

今年も、体に響く体験を目指したい。 (つづく)


 

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